神様の日記

ヘンテコな視点!

僕という人間

初めまして。神様です。

 

変わり者の「僕」という人間に、興味を持って下さって、ありがとうございます。

 

見ず知らずのあなたも、ちょっと話を聞いて下さい。校長先生の長話しだと思って。たぶん、それよりは面白いはず。

 

ではでは。

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僕は、小学生くらいの頃から今まで、ずっと「変わり者」と呼ばれています。

 

それは、僕の短所でもあるけど、それよりも長所だと思っています。

 

そんな僕ですが、実は小学一年生まで、とても「恥ずかしがり屋」でした。

 

そして、自分に自信がなく、人の真似ばかりしていたんです。

 

学習発表会の劇も、小さな声でセリフを読み、図工の自分の似顔絵も、隣の席の子の絵を、真似て描いていました。

 

それがなぜ、どうして「変わり者」と呼ばれるようになったのか。

 

その原点を考察すると、ある一つの言葉に辿り着きます。

 

それは親に言われた、「人と同じことをするな、もっと目立て」という言葉です。

 

恐らく、この言葉がなければ、今の僕はないだろう、と思います。

 

その瞬間から、僕は性格を180°変えました。

 

これだけ大きな転換を、僅か7歳のころに行っていたのかと思うと、感慨深いものです。

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さて、そんなこんなで、「変わり者」の神様くんも、いよいよ中学生になったわけです。

 

中学生になると、僕の変人具合もどんどんエスカレートしていきました。

 

いえ、「エスカレートさせた」、と言う方が正しいかも知れません。

 

なぜなら、「人と違うことをしなければ」と、ずっと自分に暗示をかけていたからです。

 

当時は、「害チャン」、「害児」、「厨二病」と言う言葉が流行っていて、僕は、そう呼ばれるのが嬉しくてたまりませんでした。

 

とにかく、僕は、人と違うことをするのに、青春を懸けていたんです。

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さて、そんな厨二病にも、好きな子がいました。

 

向こうも、それなりに気はあっただろうなと、勝手に推測しています。あくまで推測ですよ。(笑)

 

その子は歌が好きだったみたいなので、僕が歌っていると、よくリクエストをくれたりしていました。

 

だから僕には、「上手に歌わなくちゃ」というプレッシャーが、常に乗っかっていたんです。

 

しかし、その頃は、声変わりをしたばかりだったので、上手く歌えませんでした。

 

幼稚園の頃から声変わりするまでは、「歌が上手」と言われていたので、好きな子の前で上手く歌えないというのは、まあまあショックでした。

 

特技が一つなくなると言うことは、命が一欠片、削れるに等しいことだなあ、と思います。

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どうしてこの話をしたのかと言うと、それから僕が、死ぬほど歌うようになったからです。

 

僕にとって、誇れるものは、「歌うこと」、「変わり者であること」しかありませんでした。

 

そのうちの、一つがなくなってしまうと言うことは、自分の半分がなくなってしまうと言うことです。

 

変わり者であることを、常に意識して生きて来た僕は、存在意義にも敏感だったので、歌がなくなったら他にない、と言う感じを察知したんです。

 

そうして、気がついたときには、常に歌っていました。

 

つまり、僕は、「自分を守るために歌っている」んです。

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高校生になると、僕は誰とも喋らなくなりました。

 

理由は単純で、「今まで、いわゆる目立つことで変わり者だったわけだが、黙ることで変わり者になると、一体どうなるのだろう」と言う好奇心です。

 

まあ答えを述べると、病みます。

 

なぜ病んでしまったのか。自分なりに考察をすると、恐らく、存在意義がなくなってしまったからだと思われます。

 

詳しく言うと、それまでの僕は、周りに「変わり者(僕にとっては褒め言葉)」と言ってもらうことで、存在意義を得ていました。

 

しかし、誰とも話さなくなって、誰にもそれを言ってもらえなくなった結果、病むに至ったのです。

 

さらに、僕が誰にも話しかけなくても、誰かが僕に話しかけてくれれば、何とか存在意義は保てたはずなのですが、それすらもしてもらえなかったので、僕は、ますます病んでしまいました。

 

そうして、僕は、「人間不信」と、「自暴自棄」に長らく苦しめられました。

 

もしも、僕に魅力があれば、誰かしら話かけて来るだろう。しかし、そうならないと言うことは、僕に魅力がないと言うことだ。魅力がないとは、すなわち凡人である。凡人とは、変わり者の僕と対局のはずだが、これらが成り立たないと言うことは、つまり、僕は普通の人間なのか。いや、普通の人間であれば、目立つことを止めれば普通になれるはずだ。ならばなぜ僕は、孤独という少数派なのか。

 

こんなふうに、ぐるぐる考えているうちに、僕はあることに気が付きました。

 

僕は、高校生になって誰とも喋らなくなったのではなく、元々、誰とも喋れていなかったのです。

 

簡単に言えば、中学生までの僕は、サーカスの動物で、僕が歌ったり踊ったりすると、「害チャン!(僕にとっては褒め言葉)」とか言われていたようなもので、その観衆と僕の間には、頑丈な檻があったんです。

 

サーカスの動物が芸をしなければ、観衆は去ります。これが高校生の僕の状況です。

 

どうせ僕は要らない人間なんだ。

 

その頃はずっとそう思って生きていました。

 

今も、たまに頭の中をチラつく言葉です。

 

こうして、人と違うということに青春を懸けていた僕は、誰からも相手にされていないことに気づき、「変わり者」というのが、コンプレックスになってしまったんです。

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歌はいくら歌っても下手、性格もコンプレックスだった僕は、死にたいと思い始めました。

 

今でも隙あれば、ひょっこり顔を出す気持ちです。

 

その頃、僕は曲作りと作詞を始めました。

 

しかし、当然上手くいくわけもなく、特に作詞の方は、何を書けばいいのか分からず、嫌になりかけていました。

 

そこで、何か打開策はないかと考えた結果、哲学の本を読むに至ったのです。

 

とは言っても、勉強は大嫌いなので、ひとかじりくらいしただけですが。

 

なぜ哲学かというと、胸を打つ詞を自分なりに推理したところ、どうやら、「言われてみればそうだよなぁ」と言うような、いわゆる、読み手をハッとさせるような、悟ったフレーズがいいらしいからです。

 

つまり、悟る=哲学と、こんな具合です。

 

(後々、倫理の教科書なんか見てみると、哲人の名言も、詩的なものが多いですよね。と言うか詩です。)

 

結果、自分でも納得いく歌詞が書けるようになったので、これが新たな僕の強みになりました。

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ここまで書いてきましたが、結局、僕という人間がどんなやつなのかというと、やはり「変わり者」です。

 

そして、なぜ歌ばかり歌っているのかというと、それは、存在意義を失わないためだと言えます。

 

貴重な好きなことだからこそ、下手になって失くしたくないのだと思います。それ以外に取り柄はほぼないですから。

 

というわけで、僕とはこんな人間です。

 

ここまで全部読んだ人は「変わり者」認定!!